1917年、第一次世界大戦。戦場では、マスタードガスが使われていました。皮膚を焼き、視界を奪い、呼吸を奪う。それは、“刺激”という言葉の最も残酷な使い方でした。一方で私たちの食卓にも、マスタードは存在します。フランスでは、ソースの中に溶け込み、料理を構築する。そして日本では おでんの横に、静かに添えられた「からし」ほんの一瞬、味覚を目覚めさせ、そして消えていく。

Longévité-Bonheur !

1917年、第一次世界大戦。戦場では、マスタードガスが使われていました。皮膚を焼き、視界を奪い、呼吸を奪う。それは、“刺激”という言葉の最も残酷な使い方でした。一方で私たちの食卓にも、マスタードは存在します。フランスでは、ソースの中に溶け込み、料理を構築する。そして日本では おでんの横に、静かに添えられた「からし」ほんの一瞬、味覚を目覚めさせ、そして消えていく。

牛丼。今日の話はなぜ牛丼がカメチャブという風になったのかお話ししますね。明治時代、日本にね、大阪ですけど特に外人が多かったので、小さなレストランに外人がよく来て、犬と一緒にね。で、その犬をカモン、カムヒアって言って呼んでたらしいんですよね。その当時の日本人は英語を喋らないので、その犬の名前がカムヒアと勘違いしたらしいんですよ。それと日本人の耳にはカム、カメという風に聞こえたらしい。なのでこの犬の名前はカメと勘違いしたらしいんですよね。それで外国人が食べに来て、全部食べないんですよ。ご飯が多いので。残った牛丼をこのカメという犬に全部やってたらしいんですよ。だから犬はいつもそこにいた。👈👈👈 アカデミー美味し道 竹内寿幸 INSTAGRAM YouTube

実はフランス料理において、ワインは“食べるもの”でもあります。
パリ、アカデミー美味し道、料理長、竹内寿幸です。最後のどうぞごゆっくりとお楽しみください。
このソースシリーズも最初はパリから始めたんですけど、やっぱりソースっていうのは郷土料理なんで、僕にとっては、最初はボルドーからで、今回はブルゴーニュから、時計の逆回りですよね、で回ってきたんですけど。
やっぱり地方には特産物、日本でもそう、お酒もそう、食品もそう、あるんで、そういうのを紹介しながら、その地方にある典型的なソースを紹介したいと思います。

「胡椒」という極めて身近でありながら、歴史的には非常に特異な役割を果たしてきた食材についてお話しします。
胡椒の原産地は、現在のインド南西部マラバール海岸。ここで採れる黒胡椒は、紀元前から貴重な交易品として扱われいた。

日本以外の国でお寿司を食べたことがありますか?かなり寿司のイメージが違いますよねあなたはそんな経験ありませんか?今回のテーマはお寿司についてよくある誤解からお話ししたいと思いますお寿司は酢飯の塊があってその上に魚が乗っかっている外国人の人が寿司に対して思っているイメージはこんな感じですよねなぜでしょうか?その誤解はどこから来てるんでしょうか。確かに日本の食文化っていうのかなシンプルってイメージがありますよねこれは決して間違いではありませんただしそのシンプルさが少し表面的にね浅く理解されているというのも事実です。実際には簡単に見えるほど非常に高度である奥が深い。

意外と知られていませんが、このコロッケの内部構造には、フランス料理のソースであるベシャメルが、つなぎとして使われることがあります。
もともと和食は、動物性の脂を強く使う文化ではありませんでした。
それにもかかわらず、牛乳やバターをベースとしたベシャメルソースは、驚くほど自然に、そして非常に速いスピードで日本の食文化の中に浸透していきました。
しかも表面的ではなく、しっかりと根を下ろしています。

Podcast 👉 👉 👉 ソースビガラード 市場に行ってビガラードを、探すんですけども、なかなかね、見つからないんですよ。ビガラードって知ってますか。フランス料理には欠かせない食材なんですけども、手に入らない。不思議ですよね。 こんにちは。podcast« 見えない味 » にようこそ。近代料理 アーティスト、 シェフ竹内寿幸です。健康と美食、そして, 命と向き合う料理の世界を、今日も一緒にね、旅をしていきましょう アカデミー美味し道 竹内寿幸 Instagram YouTube

村の鎮守さん、僕は田舎育ちなので、子供の時から神様と一緒に食事をするっていうのは、当たり前な日常の生活でした。村の鎮守の神様と一緒にお話をすることは朝飯前で、病気なんかもよく治してもらってたし、いろいろと悩み事も聞いてもらいました。そんな記憶があります。

竹内寿幸
パトリックのエポナワインについてお話ししたいと思います。エポナはケルト神話に出てくる、馬と豊作の女性の神様なんですよね。ロワール地方よりもブルゴーニュ地方で信仰があったみたいですね。特に、ま、ここでケルト神話 のお話をすつもりじゃないんですけど これちょっと訳があるんですよ。実は彼と一緒に生活してた馬なんですけど、その名前がエポナだったんですよ。

僕は1番最初にこのこのワインに出会ったのが1983年の年末12月ごろですね、僕は東京のフランスレストランで仕事をしていて、その頃は、ボジョレーヌーボーのお祭りも終わり、年末のクリスマスの準備で忙しくしてました。よく覚えてます。その時に流行ってた歌が安全地帯のワインレッドの心だったですね。銀座の8丁目あたりで歩いてると、この音楽がよく流れてました。