TOUS LES ARTICLES PAR : Hisayuki Takeuchi

竹内寿幸(たけうち ひさゆき)

私は愛媛県西予市、山間の農家に生まれました。
子どものころから畑に出ては、野菜や米の成長を見つめ、季節の変化に心を動かされてきました。食材への敬意や、自然との対話というものは、この頃から私の中にあったのだと思います。

14歳で料理の世界に入り、今治で西洋料理の修行を始めました。その後、東京に移り、水口多喜男氏のフランス料理店で本格的な料理の道を学びました。料理人としてだけでなく、人としても大きく成長できた大切な時期でした。

また、シェフパティシエの鈴木一八氏のもとでは、洋菓子の世界にも触れました。素材の組み合わせや、味の余韻、美しさをどう形にするか──この経験が、後の私の創作に大きな影響を与えてくれました。

「KAISEKI」という名の“研究所”パリで始めて

1985年にフランスへ渡りました。当初は作家を志していましたが、やはり私の手は自然と食材を求めていたようで、料理人としての歩みを再び進めることになります。

1999年、パリ15区に「KAISEKI」という名の小さな店を開きました。私にとってこの店は、レストランというより、料理の研究所でした。オーガニック食材、自然派ワイン、日本の器、空間美──すべてが一つの芸術として響き合う場を作りたかったのです。

私の料理は、伝統的な日本料理を軸にしながら、フランスの素材や技法も柔軟に取り入れています。たとえば、抹茶とオリーブオイルを合わせたソースは、デザートにも料理にも応用できる独自の世界を生み出しました。

また、「Maki Pikapika」や「Maki Dondon」など、果物や西洋の素材を大胆に取り入れた寿司も生まれました。遊び心と深い美意識の共存こそ、私が目指す“kaiseki”の姿なのです。

教えること、伝えること

2001年からは「エコール・ド寿司」という学校を始めました。日本料理は、技術だけではなく、素材の選び方、季節感、空気のような“間”を含んだ文化だと私は思っています。

だからこそ、プロ・アマ問わず、目の前でともに包丁を握りながら、一つひとつの所作の意味を丁寧に伝えています。生徒の中には、フランスで寿司店を開業された方も多く、日本文化の担い手として誇りに思っています。

私が大切にしていること

料理とは、日々変わっていくもの。
完成ではなく、更新され続けるべき芸術です。

私の料理哲学には、「永続的な美の追求」があります。
それは、食材、器、空間、すべてを通して人の心を動かし、癒すものであるべきだと信じています。

これからについて

引退を迎える今でも、料理への情熱は変わりません。
これからは、もっと多くの人に、日本料理の本質──“素材への敬意”“時間の流れ”“手仕事の意味”──を伝えていきたいと思っています。

オンライン講座や書籍、トークイベントなど、形を変えてでも「本物の味」や「美しい心」を広めていく活動を続けていくつもりです。

ご縁があれば、ぜひ私の料理や考え方に触れていただければ嬉しく思います。ありがとうございました。

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お花畑の葡萄畑

最終回、ロワールのワイン「ケルトの女神エポナ」

🎙️タイトル:最終回、ロワールのワイン「ケルトの女神エポナ」 パトリックのエポナ(Epona)についてお話ししたいと思います。 パトリックのエポナワインについてお話ししたいと思います。エポナはケルト神話に出てくる、馬と豊作の女性の神様なんですよね。ロワール地方よりもブルゴーニュ地方で信仰があったみたいですね。特に、ま、ここでケルト神話 のお話をすつもりじゃないんですけど これちょっと訳があるんですよ。実は彼と一緒に生活してた馬なんですけど、その名前がエポナだったんですよ。 彼はトラクターとかそういう文明の力をあまり使いたがらない、作業は全部手作業でやっています。そのパートナーがエポナと言う女神なわけです。ぶどう狩りの時は、馬の手も借りたいほど忙しいなんてよく冗談言ってました。ちなみに猫の手も借りたいほど忙しいと言う言い回しはフランス語ではありません。 秋が深まる、ぶどう狩りのシーズンになると、日本から研修生だとか、ワインの作り方を勉強したい人と一緒にね、仕事をしてますけど、基本的には、彼のパートナーはエポナ1人なんですよ。家族なんですよ。ある日、20年間位一緒に仕事をしていたエポナが寿命でなくなっちゃったんですよ。ほんとかわいそうでした。松尾芭蕉の馬のしとするとする枕元じゃないですけど、一緒に寝食を共にして、苦しい時、楽しい時、雨の日も雪の日も一緒に生活してたんですよ。 👉👉👉👉👉アカデミー美味し道. 👉👉👉👉👉インスタグラム 👉👉👉👉👉Youtube

chef HISSA

美味し道の講義

👉👉👉👉👉 美味し道の講義 皆さん。今日ここで、ひとつの区切りを迎えます。だからこそ、私は皆さんに伝えておきたいことがあります。 一皿を作ることは、自分自身を磨くことです。米を研ぐとき、その白さと一緒に心もまた澄んでいく。魚を切る刃先には、迷いを断ち切る決意が映る。火を操るときは、ただ熱を支配するのではなく、自分の情熱をどう静め、どう高めるかを学ぶものです。 盛り付けは、形を整えるためだけにあるのではありません。自然の調和を映し出し、作り手の心を相手に伝える行為なのです。 美しい料理は目を楽しませます。けれど、料理の美しさは、それ以上に、魂を満たし、心に灯をともしてくれます。皆さんに覚えていてほしいのは、流行や見かけの美しさではなく、その奥にある永遠の美です。 どうか、一椀の味噌汁の中に宇宙を見てください。一粒の米の中に天地の恵みを聴いてください。料理とは、あなたの人生そのもの。そして人生もまた、一つの料理なのです。 最後に、この言葉を皆さんに贈ります。 「美は外にあるのではないし、美は、あなたの眼と心の中に育ち、 これから歩む道を照らす光となる。」 どうか胸に刻み、それぞれの道を歩んでください。 👉👉👉👉👉 竹内寿幸

コスプレ

Youtube

Hisayuki Takeuchi est né le 12 novembre 1961[1], à Seiyo (préfecture d’Ehime)[2] au Japon dans une famille d’agriculteurs[3]. Il est le dernier né d’une famille de trois enfants, deux garçons et une fille[4]. Durant sa jeunesse, il apprend la cuisine occidentale, française en particulier, et chinoise[3]. À 15 ans, à Imabari (préfecture d’Ehime), il commence sa carrière, comme apprenti dans un restaurant spécialisé dans la cuisine occidentale[4]. À 20 ans, il est embauché par un restaurateur de Tokyo dont l’établissement sert de la cuisine française. Il découvre la pâtisserie et devient successivement serveur, chef de partie, second de cuisine, puis chef cuisinier[4],[2],[5]. En 1985, il s’installe en France, à Paris[3]. Après avoir travaillé dans plusieurs restaurants japonais[3], il ouvre en 1999, avec sa femme Élisabeth Paul-Takeuchi, son propre établissement, le Kaiseki, dans le 15e arrondissement de Paris[1],[6]. Il se spécialise dans la cuisine japonaise de type kaiseki, avec une approche de designer

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