信じることと考えること

今日は皆さんに信じることと考えることについてお話ししたいと思います。これは小林秀雄講演第2巻、信じることと考えることのCDを本屋で見つけ、その表紙に、(魂はあるかないかー、あるに決まってるじゃないですか。)見出しがついていたので、多分そんな話なんだろうと思って買ったのがもうかれこれ20年以上前です。柳田國男の山野生活で始まるお話はとても印象的でした。おい。

 美味し道学院では、「食べることの食育法」、その方法を、皆さんと一緒に実際に勉強して、今まで深めてきました。その中でも「信じる」ということは、とても重要なんですが。

これは、儒教や仏教でも重要な概念であり、特に孔子は「人は信がなくては生きていくことができない」と言っています。 それぐらい重みのある言葉です。黒澤明監督の映画『七人の侍』では、林田平八(Heihachi HAYASHIDA)が「信じる」ということを体現する人物として描かれています。

彼は、どんな苦しい状況でも深刻にならず、明るく、人懐っこい浪人であり。友情に厚く、人を欺かず、誠実な侍。生死をかけた戦いの中で、なぜ彼はあれほど余裕を持ち、むしろ楽しんでいるようにさえ見える? それは、彼が自分を信じている、その一言に尽きますよね。しかしほんとに素晴らしい映画ですよね。

戦いに勝つか負けるか、それは誰にも分からない。未来を完全に予測できると考えるのは、むしろ無謀なことです。では、未来が分からないのなら、私たちはどのような姿勢で生き、働いていけばいいと思われますか。

 この「信じることと考えること」は、小林秀雄の伝説的な講義でも語られています。こんな気の利いた、素晴らしいテーマは、私が考え出したことにしたいし、そう思っていただきたい、でも残念ながら。彼の言葉を私なりにまとめると、こうなります。

小林秀雄曰く 

「信ずるということは、諸君が諸君流に信ずると言うことです。知るということは、万人の如く知ることです。人間にはこの二つの道がある。知識や情報を知りそれを適用するという「知る」事と、予測不能な未来に向き合う「信ずる」事という二つがあり、どちらも必要だが、両者はちゃんと区別しなければならない。未来が予測ができない中で、それに向き合うのは常に自分自身である。

つまり、知識や情報を得て理解する(知ること)と、未来の不確実性に向き合い、自分の信念に従って進むこと(信じること)は、根本的に違う。小林秀雄は、「知ることが信じることよりも望ましいのではない」と言います。それは、未知の未来に進むとき、すべてを知ることはできないから。そのとき、人にできるのは信じることしか、原理的にできない。そして自分自身でなければならない事を強要してくる。 

 小林秀雄流に言いますと「信ずるということは責任を取ることです。

  僕は間違って信ずるかも知れませんよ。万人の如く考えないのだから。

  僕は僕流に考えるんですから、もちろん間違うこともあります。

  しかし、責任はとります。それが信ずるということなのです。

  信ずるという力を失うと、人間は責任をとらなくなるのです。」

私は、この言葉に深く共感します。前向きに生きる、未来が分からなくても信じて進む。そして、信じて進む人も応援すこ事ができるようになる。素晴らしいことですよね。そのときに大切なのは、「自分が信じたことの結果に責任を持つ」ということ。信じることや、信じる人を応援する文化がなくなれば、無責任な人や組織が増えてしまう。私は、そのような社会にはなってほしくないと思います。

料理の仕事は人様の命を預かる大事な仕事ですよね。私たちは、お客様の健康を守るために、責任を持って料理を作らなければならない。今あなた方が手がけている料理の食材は、あなた方が愛する家族のために提供できる同質の、価値のある食材でなければならない。自分の料理に責任を持ち、食中毒などが起こらないように、常に学びを、衛生管理を徹底することが大切です。私はこれまで、皆さんが自分を信じて、自分流に料理をして、道を切り開くための指針を伝えてきました。それは、「自分が信じることと、人生に責任を持つ」ということが、言わば表裏(ヒョウリ)一体であり、一心同体とも言えますね。自分が信じた、一皿の料理を作り、責任を持つ。

美味し道学院では、これを目指して、日々努力を重ねています。